翠華&文香の歴史探訪〜黒田官兵衛・姫路〜
日本で初の世界文化遺産となった国宝姫路城✨
シラサギが羽を広げたような優美な姿から「白鷺城」の愛称で親しまれています。白漆喰総塗籠造りの鮮やかな白の城壁や5層7階の大天守と東、西、乾の小天守が渡櫓で連結された連立式天守が特徴です。
現在の姫路城の大天守は、慶長14年(1609年)に建築されたもの。
築城まで遡ると、播磨国の赤松円心が陣を築いたという説があるものの疑問点が多いので定説とはなっていないようです。
1567年、黒田官兵衛の父黒田職隆は、城の留守を預かる城代の座を、息子である考高(よしたか→のちの黒田官兵衛)に譲り渡します。
孝高は父から家督と家老職を継ぐとともに、黒田家の主君である小寺政職の姪である櫛橋伊定の娘、光(てる)を正室に迎え、
従兄弟である明石則実との同盟を結ぶことにより、生まれ育った姫路城主となりました。
後に、秀吉に仕えるようになった際、官兵衛は「姫山城を本拠地として毛利を攻めること」を秀吉に勧め、姫山城を譲り渡しました。
秀吉は、譲り受けた姫山城を近世的な石垣の城郭にすべく、大改修を行います。
改修工事が完了した1580年(天正8年)、秀吉は、姫山城という名を姫路城に改めました。秀吉による大改修により現在のデザインに近づいていった姫路城ですが、官兵衛が生まれた頃の姫路城は、砦程度の規模だったそうです。どんな感じだったのでしょうね(?_?)
姫路城を後にして、広峯寺を目指した私達は、姫路名物あなご飯をいただこうと、「やま義」さんへ❤︎
お店のおすすめどおり
最初はそのままタレの絡んだ茶飯と、次はワサビと一緒に、最後はお吸い物をかけて頂きました。
アナゴの風味が際立っていてとても良い美味しゅうございました❤︎
お腹がいっぱいになったところで、バス案内所に駆け込んで、係の方からご親切に広峯神社への行き方を伺いましたが‥なかなか手強い‥行きにくいです💦
まずバスの本数が少ない。
そして、神社まで行き着くバスがありません💧
でも、ここは根性です。
途中のバス停でおりた後、近くにあるタクシー会社から電話をして、タクシーで神社まで。
でもでも、行く甲斐がありますよ‥広峯神社。
境内内で官兵衛物語の掲示物をを眺めていたところ、神社のかたが声をかけてくださって、官兵衛神社の中を見せてくださいました♪
とってもラッキー🤞
中には、黒田官兵衛がキリシタン大名でもあった為に十字架が。そして特徴のある赤い兜。兜はお椀を逆さにしたような形をしていて、如水の赤合子として恐れられていたと伝えられています。
お椀をかたどった兜の合子(ごうす)とは、蓋つきの小容器のことで、この兜は黒田官兵衛が結婚するおり、舅となった櫛橋伊定から贈られたものだそうです。
そして広峯神社内での続いてのチェックポイント‥目薬の木。
官兵衛の祖父である重隆が
黒田家秘伝の目薬を作り、廣峯神社のお札と一緒に売り歩いたことで、黒田家は有力豪族に成長したというお話があります👀
NHKの大河で時に作られたのかこんな物もありました。
官兵衛とは、関係しませんが、暦神「牛頭天王」も興味深かったです。しっかり
「侍魂」の充実と繁栄を祈りました(^人^)
こうして広峯神社を満喫したあと、姫路駅の二つ隣にある御着駅で降りて(黒田官兵衛顕彰碑」に立ち寄り、この日の取材は終了となりました。
今週末、侍魂〝武将文字〟があります!
ぜひ、ご参加の上、歴史トークに花を咲かせながら、勇壮な書を楽しみませんか❣️
取材を元に製作した資料もお配りします❤︎
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