太閤秀吉が愛した有馬温泉①
日本書紀にその名が記されているという日本最古の名湯・有馬温泉。
翠華&文香の、地元から車で30分ほどのところにあります♨️
今回は有馬グランドホテルに行ってまいりました❤︎
浴場の写真は撮ってはいけないのでパンフレットから抜粋させていただきます😉
有馬グランドホテルは、地下と9階にそれぞれ大浴場があります。
これは地下のお風呂。
開口部が広いので、外の竹藪の緑や紫陽花の美しい七色が目に入り心も体も安らぎます🍀
こちらは、9階の大浴場。
ホテルが高台に立地しているので、見晴らしが素晴らしい✨
泉質も最高です♨️
金泉‥赤茶色のお湯で知られる金泉(赤湯)は、もとは無色透明だが含まれている鉄分が空気に触れて酸化するため、独特の色になっていらのだそうです。マイルドでまったりとした肌触りの湯は保温・保湿に優れ、さまざまな効能(冷え性・腰痛・筋/関節痛・抹消血行障害)とともに美人の湯としても誉れ高い✨
銀泉‥無色透明な銀泉は炭酸泉とラジウム泉の混合で、高血圧症、末梢動脈閉塞性疾患、機能性動脈循環障害、機能性心疾患に効果があると言われています。
プールもあります⛱チェックアウト後も入れるので1泊2日だと連日入ることができます❤︎浮き輪に捕まって子供のようにプカプカ浮いてるだけで楽しい♪
ちなみに温泉卓球も🏓しました‥最高✌️
気になる夕食は「季節のおもてなし懐石」。今回は、日時の関係でステーキではなく牛肉のハリハリ鍋でした❤️
〆のトウモロコシ入りご飯に至るまで、期待どおりの絶品揃い✨
朝ごはんは、豪華なバイキング。
消毒に気遣い、手袋をはめて、コロナ対策もバッチリです。
ホテルの紹介はこれくらいにして、
太閤秀吉にまつわる有馬のお話を‥‥‥
「願い坂」
天正十七年(1589年)に太閤秀吉が有馬を訪れた時のこと。清涼院から西南の方向にある高台に登り、秀吉公は、杖でとんとんと地面をたたいて祈りました。「もし、この地に温泉が湧き出したら、海の彼方までわしの土地になるだろう。湯よ、湧き出せ!」
すると、足元から少しずつ湯が湧き出し、温泉場になりました。
人々はこの温泉を「上之湯」とか「願の湯(ねがいのゆ)」と呼びましたが、秀吉が亡くなると湯も湧き出なくなってしまいました。
温泉寺から念仏寺にあがる坂道は「願い坂」と名付けられています。
「湯山御殿」
秀吉は、中国攻め途中の天正7年(1579)には有馬温泉一帯を領地としていました。秀吉本人やその縁者も何度も有馬に湯治に訪れ、災害で寂れていた有馬の復興にも力を注ぎ、温泉寺を建立しました。
当初秀吉は有馬を訪れる際には現在の天神源泉近くにあった「阿弥陀堂」を利用していましたが、文禄3年(1594)に自身のための湯治施設として「湯山(ゆのやま)御殿」を建設しました。御殿を建設するにあたって、65軒の家屋を強制撤去したというところからも規模の大きさが想像できます。ところが、この御殿は420年前に起こった慶長元年(1596)の伏見大地震によって倒壊し、その後。慶長3年(1598)に再建されました。湯山御殿の位置は愛宕山の山腹にある現在の極楽寺あたりと考えられていて、極楽寺の庫裏(くり)の床下には「湯殿あと」と伝えられる遺構が保存されていました。
平成7年(1995)の阪神・淡路大震災によって極楽寺の庫裏が倒壊し、その建替え工事に伴う調査を神戸市教育委員会が実施したところ、秀吉が建設したと考えられる湯殿跡が見つかりました。
湯山御殿は完成後まもない慶長元年(1595)の伏見大地震によって倒壊し、慶長3年に再築されます。御殿跡発見へとつながる調査の契機となったのが400年後の平成7年(1995)の阪神・淡路大震災であったことは、単なる偶然ではない歴史の不思議を感じます。
前述のとおり、有馬温泉はとっても近いので、今までもこれからも事あるごとに足を運ぶことになると思うので秀吉にまつわ取材も続けていきたいと思います✨
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