翠華&文香の歴史探訪〜徳川家康・駿府城
駿府城へ。
小田原からの新幹線の窓から美しい富士山を見ることができました✨
JR静岡駅の北口広場内でさっそく竹千代君蔵がお出迎えしてくれます。
家康は、人質として過ごした幼少期と江戸に移るまでの数年間、晩年の大御所時代を駿府城で過ごしました。
竹千代君像は、家康公が8歳から19歳まで今川氏の人質として過ごした幼少期の姿。
隣には、今川義元公像も。
少しだけ離れた緑地のところに、貫禄ある家康公像。
三河・遠江・駿河・甲斐・信濃の五カ国を支配した壮年期の家康公の姿だそうです。
像をチェックした後は、駿府公園へ。
駅前のバスターミナルを左手に進むと地下に降りられるようになっているので、そこから地下を通り、案内板とGoogle mapを頼りに市役所まで行き、県庁の裏手から駿府城公園に入りました。
将軍職を息子の秀忠公に譲った家康公は、1607 年に駿府城を修築して移り住み、大御所として幕府の実権を握りました。
大御所政治の舞台となった駿府城は、戦の要塞だった戦国時代の城とは異なり、諸国の要人や海外からの使節を迎える迎賓館のような存在だったようです。
家康没後の寛永12(1635)年、火災によって焼失し天守の土台である天守台だけとなり以後再建されることなく今日に至っています。
奥に入って行くと…私が30年ほど前に住んでいた頃の駿府公園とは様変わり…広大な駿府城跡天守台発掘調査現場が!
「見せる」発掘調査現場は、とても興味深いものでした。
公園内にも家康公像。鷹狩バージョンです。
これは、〝家康手植の蜜柑〟
江戸時代に徳川家康が植樹したと伝わる県指定天然記念物。
このみかんは、「ほんみかん」と呼ばれる品種で、鎌倉時代に中国からはいったみかん(紀州みかん)の一種で、家康の駿府在城時に紀州から献上されたそうです。
現在はJA静岡経済連が管理していて、収穫されたみかんは、毎年駿府城公園などで市民に配られているのだとか。ご利益ありそうで良いですね😊
〝坤櫓〟
櫓は矢蔵(やぐら)とも書かれ、平時は、武器庫として使用されていたことに由来しますが、戦の時には、物見として、或いは、攻めて来る敵に対する攻撃拠点としての役割もあったそうです。
以上、駿府城取材でした。
来年のNHK大河「徳川家康」の頃には、ここも一大観光スポットになってたりするかもしれませんね✨
このあと、グルメ情報に続きます^_−☆
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